アンチゴーヌ


  正しさに縛られて、律せずにはいられない自分を不自由に思えることができた年で、これは大きな前進だったなあと思った、去年の暮れ。

  先日観劇した“アンチゴーヌ”は、アンチゴーヌに、それ以前の私をみるようで、とても胸が苦しかった。正しさのために命をかけて全てを犠牲にする女の子の話で、相手が誰だろうと、そこにどんな理由があろうと、曲げることのない想いの強さと、傲慢さを持っていて、もはや凶器のようになったその真っ直ぐさに、ただただ、たじろぐ人々の話だったと記憶します。正しさは、ときにないがしろにしなくてはいけないし、保留にする勇気も、持っていなくてはきっと潰れてしまう(あるいは潰してしまう)。正しさを貫いて潰れるならそれで良いから、早く、あなたたちの間違いで、やり方で、私を潰しなさいよ、そうすることで私はやっと自由になれる、みたいなことって日常ではそこまでないのかもしれないけれど、私は普段からよく考えていることだったので、何年も前の話とは思えず、客席の中に十字に組まれた舞台を眺めながら、なにになにを、祈れば良いのだろう。
  大人になるってなに、とか、普通の幸せってなに、とか、本当のことはどこにあって、嘘はどれで、なにを信じて生きればいいのっていう疑問で身体中がいっぱいになったあの時のことを忘れてはいけないし、ある意味では忘れ続けなくちゃいけないし、たとえばその答えを一緒に探そうとしてくれる人のことを、あざ笑ってはいけないですね。
  それからやっぱり、権力者や、不特定多数の人の持つ、なんとなくの雰囲気に、本当のことが飲み込まれるのは全然良くない。正しさの正しい伝え方についても、よおーく、考えなくてはいけない。などなど。

  圧倒的に美しい建築物をみているような感覚のある舞台でした。

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